儚屋本舗ブログ

儚屋本舗オフィシャルWebメディアより一部の記事を抜粋しています。

大仙厓展所感(文・儚屋玄)

 出光石油の創業者である、海賊とよばれた男出光佐三は、江戸時代に生きた博多の禅僧・仙厓義梵の作品のコレクターでもあった。その仙厓作品を多く所蔵した出光美術館が、開館50年と仙厓の没後180年を記念して、各地に散らばる仙厓作品を一同に集めた展覧会が開催されると耳にし、友人とともに足を運んだ。

 仙厓は、生涯を通じて、2000枚にも渡る禅画を描いた(本人曰く、”書にあらず画にあらず”)。それもそのはず、書いてくれとひっきりなしに来る訪問客の要望に応えるため、スピードとユーモアで描きまくっていたのだから。
 その来訪者の多さは、「うらめしや わがかくれ家は 雪隠か 来る人ごとに 紙おいてゆく」という詩を読めば明らかだ。皆が何か描いてくれと紙を置いていくことについて、「自分の家=便所」と表現し、自虐の狂歌を残したわけだ。その後、もう描けないと判断し、「絶筆」の二文字を石に刻み、自宅前に碑を建てる。結局、また描き出すのだが……。
 そんな江戸時代のスーパースター、仙厓の作品(彼は自らの作品を”愧”と言った)の中から、私が感銘を受けたものをいくつか挙げてみる。

 

自画像

https://static.wixstatic.com/media/d0cb51_7dc3e4421eeb45a1845b334c309fc91d~mv2.jpeg/v1/fill/w_341,h_231,al_c,lg_1,q_80/d0cb51_7dc3e4421eeb45a1845b334c309fc91d~mv2.jpeg

 達磨のような、斜め後ろ姿の仙厓。宮崎駿の『千と千尋の神隠し』の”顔なし”の元ネタかと思ってしまうほどユーモラス。さらに、”賛”が秀逸。

「仙厓 そちらむいて なにしやる」

 自画像といえば正面を描くのが定番なのに、それを後ろ姿でもなくどこぞの方向を向かせるという一コマボケに自賛ツッコミ。この視点は、いつの時代の人の目にも斬新に映るに違いない。

 

⚪︎△□

https://static.wixstatic.com/media/d0cb51_5b9693cdc500412188b8ff234cfe2043~mv2.jpeg/v1/fill/w_498,h_306,al_c,lg_1,q_80/d0cb51_5b9693cdc500412188b8ff234cfe2043~mv2.jpeg

 仙厓のあまりにも有名な一枚。その深遠さは、出光佐三の良き理解者であり、禅を世界に発信したといわれる、鈴木大拙は、この作品を世界に紹介する際、「The Universe」と名付けたほどだ。

 この作品の解釈については、○は仏教、 △は儒教、□は神道をあらわしているとする説や、□、△、○と右に行くに従って悟りの境地に近づくことをあらわしたとする説などさまざまで、ここでは深くは触れない。ただ、私は、仙厓が権威を疎み、禅宗の本山が彼に最高位の紫衣を授けると言ったのにも関わらず、「自分はまだ△で丸まってなので、受け取れません」と断り、生涯黒衣を着続けたと言うエピソードを聞いて納得するものがあった。あまりにボロい黒衣を着ているので、弟子ですら彼を乞食と見紛うほどだったらしい。彼は○の境地を目指し、身分関係なく人と付き合い、求められば、その人にあった言葉を選び、書き続けたのだった。この書は賛もなく、なにか全てを超越したものを描いているかのようだ。「宇宙」という表現、まさに言い得て妙。

 

よしあしの 中を流れて 清水かな

https://static.wixstatic.com/media/d0cb51_bc665828438745acb7220802d1527f46~mv2.jpeg/v1/fill/w_504,h_300,al_c,lg_1,q_80/d0cb51_bc665828438745acb7220802d1527f46~mv2.jpeg

 これぞ 私が仙厓を知るきっかけとなった一枚。八王子にある、変哲のない中華料理屋に入ったときのこと。店の中にこの画が飾ってあり、とても気になったので、これはなんだと女将に尋ねたところ、仙厓の画の複写であることを教えてくれた。私はなにより、この詩に深い共感を覚えた。描かれているのは、水面から顔を出した葦(あし。よし、とも読む)であるのだが、それに掛けて、「よしあしの〜」と始める訓戒。清濁併せ飲んでの人生だ、と気張らず諭すそのスタンスに感銘を受けた。女将はさらに、出光佐三が仙厓のコレクターであり、有楽町に美術館を作ったことを教えてくれた。この作品は私にとって思い出深い一枚で、ようやくオリジナルを拝むことができたと云うわけだ。

 

見んか見んか

https://static.wixstatic.com/media/d0cb51_016505f0e1b9434c91aac13ac22c58c6~mv2.jpeg/v1/fill/w_221,h_156,al_c,lg_1,q_80/d0cb51_016505f0e1b9434c91aac13ac22c58c6~mv2.jpeg

 猫の頭に紙袋を被せ、見て~と自慢気に無邪気にアピールする幼な子。一心不乱であることを尊ぶ禅の教えに則った作品であるのだが、そんなことは抜きにしても、画だけで笑える。この目線の低さこそが、仙厓作品を可笑しく、親しみやすく感じさせているのではないだろうか。

 

堪忍

https://static.wixstatic.com/media/d0cb51_13ae33d76e5a41e9a107a97ef237dd57~mv2.jpeg/v1/fill/w_385,h_304,al_c,lg_1,q_80/d0cb51_13ae33d76e5a41e9a107a97ef237dd57~mv2.jpeg

「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」

 どんなことがあっても柳のようにしなやかに柔軟に堪えてみろよ、と処世の在り方を提案してくれているようだ。

 

生かそうところそうと匙加減

https://static.wixstatic.com/media/d0cb51_308612557f6b48ad8fa8512ccfaf1d96~mv2.jpeg/v1/fill/w_303,h_204,al_c,lg_1,q_80/d0cb51_308612557f6b48ad8fa8512ccfaf1d96~mv2.jpeg

座布団一気に二つレベルの明快さ。
 仙厓は、呑み会でもフリースタイルで画と賛を描いていたようだ。そして、その座の中で大事にしていたのは、”笑い”であった。当時、”笑”を”咲”とも書いていたので、大作が描けたと自慢するときも、あえて”大咲”と書く感覚。そのリラックスした姿勢こそ見習っていきたいと切に思う。

 

 仙厓から生き抜くために必要な心の在り方を学ぶ。今の世を生きる私でさえそう思うなら、世界と戦い続けた男・出光佐三にとってはいかに。想像に難くない。