儚屋本舗ブログ

儚屋本舗オフィシャルWebメディアより一部の記事を抜粋しています。

ある大物女優との出会いを通して学んだこと⑤ - 儚屋忍者

f:id:hakanaya:20171007160429p:plain

 

各地で様々なトラブルに見舞われつつも、ミュージカルの全国公演は終盤に差し掛かった。残すは長崎での公演のみだ。少し寂しい感じもしたが、そんなことを言っていられる状況でもなかった。

これまでの公演は劇場で行われていたが、長崎での公演は劇場ではなく、テーマパークのなかにあるホールで行われるのだ。つまり準備が大変。音響や照明はもちろんのこと、オケピ(オーケストラピット)や客席も手作りでの設置になる。
いくつもの問題が発生していた。特に試行錯誤が必要だったのが「光」と「風」への対策だ。通常の劇場ではこの二つの要素は完全にシャットアウトできる構造だから問題にはならない。映画館などもそうだが、エントランスから入場したあともうひとつ扉がある。
しかし長崎公演では、外界と壁一枚(しかも一部はガラス張り)でしか隔てられていないただのホールが会場だったため、「音」はどうにかなったものの「光」と「風」に悩まされたのだ。ガラスの壁からわずかに入り込んでくる「日光」と、入り口から吹き込む「隙間風」。これに対抗するためには、黒い幕や段ボールなど、完全に原始的な方法で挑むしかなかった。
さらに、あくまでもテーマパーク内での公演なので、そのテーマパークの規則が適用されるわけだ。外から必要な道具などを運ぶ経路や時間帯も考えなくてはならない。テーマパーク内にそんなに広い道があるわけもなく、大型トラックがどうやってそのホールにたどり着くかを考えるだけでも一苦労だった。なんかもうパズルみたいなもんだ。

準備段階でのいろいろな課題を乗り越え、無事に公演がスタート。もちろんトラブルが発生しないわけがない。
いつも通り、私にとっては、お客さんが会場に入って本番が開幕してからが少し落ち着ける時間。客席から少し離れたところで、始まったばかりの舞台を見ていると、いつも照明がピカっと光るタイミングで光っていない。あれ? と思ったが、舞台上ではそのままミュージカルが進行している。すぐに通常の進行に戻ったが、流れを完全に把握している者が見れば違和感がある出だしだった。あとから舞台監督に聞いてみたところ、「照明がつかなかった瞬間、本番を一度ストップして俺がステージに出てお客さんに土下座しようと思った」と言っていた。

キャストやスタッフ側の舞台裏でのトラブルもいろいろあったみたいだが、私にももちろん降り注ぐ。
これまた難しい問題だが、お客さんのなかにはVIPがいる。席にはSとかAとかあるが、最前列のど真ん中10席ほどは、招待席として空けられている。公演ごとにここの席にVIPを割り振るわけだが、それももちろん私の仕事だ。
その日は、直前になって女優Nさんの招待客と、舞監の招待客がぶつかった。招待席の半分ほどはあらかじめ埋まっていて、残りの招待席にどちらの招待客を配置するか考えなくてはいけない。招待客は一人で来ているわけではないので、分断するわけにもいかず、やはりどちらかを選択しなければならない。
少し迷いはしたが、結局はNさんの招待客を優先した。舞監には、申し訳ないけれど譲ってくださいと告げた。

本番前。客席を見ていると、招待席のところでなにやらもめている。
「あぁ……でた……」
そう思いながら最前列へ駆け寄る。舞監の招待客が完全に招待席に座っていて、Nさんの招待客は戸惑っていた。「お客様、申し訳ございませんがこちらの席は……」と丁寧に言った。返答はこうだった。
「は? なに言ってんのこの人。日本語分からない」
「は?」はこっちのセリフだが、グッとこらえてこちらは丁寧に申し上げ続ける。しかし、相手はテコでも動かぬ様子。私が少し語気を強めて詰め寄ったところで、Nさんの招待客がこう言う。
「我々は大丈夫だよ。他に空いている席はあるかい?」
申し訳ない気持ちと舞監に対する怒りでいっぱいになる。ただ、自分が中心となってつくり上げた舞台を、ゴリ押ししてでも大事な人に最前列のど真ん中で見せてあげたいという舞監の気持ちは、痛いほどよく分かる。結局、私はなんだか切なくなってしまった。
Nさんの招待客を空いている席に案内して、お詫びにパンフレットを渡した。
その方は、「大変だね。我々のために取り計らってくれて感謝するよ」と言って丁寧に名刺を渡してくれた。名刺を見て驚いたが、その方はある業界の第一人者で、いわゆる「すごい人」だった。やっぱ器が違うなと思いながら、舞監に対して抱いてしまった怒りについても私は反省した。

全国公演は千秋楽を迎えた。すべてが終わった。いろいろなことがありすぎて、本当に全身の力が抜けた感覚だった。
振り返ってみると、様々なことを学んだという実感があったが、なかでもやはりNさんと共有した時間というのは、私にとって最も濃厚な時間だったと思う。緊張と緩和の連続。自分がオールマイティにどんな仕事でもこなせる人間ではなかったからこそ生まれた距離感があったし、そのなかで人として学べるチャンスも多かったと感じる。他にもエピソードはいろいろあるのだが、今は心の中に留めておこう。

最後の公演が終わって、Nさんとの別れの瞬間が訪れた。Nさんをホールの外まで送る。もうしばらく会うこともないし、二度と会えないかもしれない。

「本当にお世話になりました」

私はそう言って、Nさんの最後の言葉に少しだけ期待した。
もちろんNさんにとって私は本当に取るに足らない存在。だが、なにか言ってくれるはずだ。

「じゃあ、おつかれさま」

返答はこれだけだった。
Nさんはいつも通り背筋をピンと伸ばして、振り返ることもなく颯爽と立ち去る。

その後ろ姿は、私に何かを語りかけるでもなく。


おわり















追記

「この本、旦那にすすめられたの。読み終わったからあげる」
ミュージカルの公演期間中、空港で女優Nさんからいただいた本の主人公の名前は「ナオミ」でした。

悲報が耳に入ったときは、大変ショックでした。たまたま「女優Nさん」の思い出を書いていたタイミングだったのです。

彼女の人生の中で私の存在は限りなく小さいはずですが、私にとって彼女は非常に貴重な経験を与えてくれた相手です。
思い返すと、彼女のいろいろな言葉や表情が鮮明に蘇ってきます。本当に尊敬できる人。
高級なワインしか飲まないのかなと思っていたけど、普通のお店で注文したワインを飲んで笑顔で「おいしい」と言う。
そんなリアルな姿を目の前で見ることができたこと。忘れることはありません。

私のような小者に対して無邪気に接していただいたことを感謝します。
勝手ながら、私がこのような文章を書いていたことにも何かの意味があると感じています。

川島なお美さんのご冥福をお祈りします。

 

 

そして僕は途方に暮れない 〜玲志〜

 

君が僕に向けた言葉の刃は

真里谷のそれよりも鋭かったはずだ

青天の霹靂

現代語で重度の精神病の君には

どんな言葉も響きやしない

僕はただ黙ってた

なにも言えなかったんじゃなくて

なにも言わなかったんだ

そして僕は途方に暮れない



君があいつとコウモリの中にいるのを見ていたよ

コウモリに跳ねる雨粒が

30のビーツパーミニットを刻む夏の終わりのイブニングナイト

金属「バット」がうなりをあげることはなかったね

僕はコウモリを閉じて立ちどまった

革ジャンのエリで充分だもの

革ジャンなんてないけどね

革ジャンなんて、ないけどね

そして僕は途方に暮れない



僕はいつからか強くなってしまった

宇宙の曖昧さの中でも

迷子のままでも

すべてがひとり言だとしても

平氣になってしまった

これで魂を代弁する詩が書けるだろうか

そんなことも思わなくなった

僕はいつからか強くなってしまった

そして僕は途方に暮れない

 

 

 

チャンネルはあのままで

 

 

 

Man in the Maze〜玄〜

 人生のスタートラインに立ったものは、経験と選択を繰り返し、夢を叶えるために真ん中のゴールを目指す。そこに辿り着くと、今までの道のりを振り返るための最後の機会が与えられる。太陽の光を浴び、その人生は讃えられ、また新たな一歩を踏み出すこととなるーー。

 

 家の近くの千駄木から歩いてほどない谷中の路地裏に、前々から気になっていたお店があった。そこは、アリゾナ州に今も住むネイティヴアメリカンであるホピ族にまつわる服、ジュエリー、小物を扱ったお店で、店のおばさんたちが直々にホピ族の住む地に赴き、輸入し、販売をしている。以前立ち寄ったときにも気になるTシャツがあったのだが、サイズがなかったり、色がなかったりと、見送ることすでに二回。残念ではあるが、いかんせんホピ族との直取引だから仕方ないと思っていた。

 

 年明け早々、息子と散歩中、またそのお店の前を偶然通りかかり、入ってみた。三度目のTシャツチェックになる。すると、かつて見たことのない一つの絵柄が気になった。じっと眺める私におばさんが声を掛けてくれた。

 

「それは、mazeという柄です。『人間、だれしも路頭に迷うことがあるけども、最終的にはクリエイター(創造主)が迷路の出口に導いてくれる』というホピ族に古くから伝わるモチーフなんですよ」

 

 ホピ族は、人生についての教訓をモチーフを通じて次世代へ託しているようだ

 ”man in the maze”はその中の一つ。

 

「……Mがあれば、買います」

 

 これだと思えるものに出会えたことは勿論、いい話を聴いたものだと清々しい気分になった。

 

 お店のおばさん曰く、ホピ族は、ラジオ配信もしているらしい。「友達が番組をやってるのよ。日本の曲もリクエストしてみてよ」とえらくフレンドリーに教えてくれた。またそのプログラムのステッカーがイカしてること! こちらとしては、ホピ族土着のサウンドが気になってしかたないのだが。

 

 生きていくための知恵をモチーフにして伝えていくこと、祖先から受け継いだ確かな思いを形にしていくことは尊いことだと思う。予言者でもあるホピ族が日本へのアメリカによる原爆投下を予知していたということを知り、その思いは確信に変わった。

 

 

ある大物女優との出会いを通して学んだこと④ - 儚屋忍者

f:id:hakanaya:20171007160249p:plain

 

ミュージカルの全国公演期間中、最も強く印象に残っているのが、札幌公演の夜だ。

その日は女優Nさんの誕生日だった。本人にバレないように、すべてはカーテンコールでのサプライズの瞬間に向けて準備された。
これといって大きなトラブルもなくミュージカルは開演し、やがて終盤に差し掛かった。キャストはもちろん舞台上で演じているわけで、その間に私が頑張ってサプライズのお膳立てをしなければならない。

まずは劇団員のひとりが注文してくれていたケーキを私が受け取った。よしよし、ロウソクもあるし、ケーキにデコレートされたメッセージも大丈夫だな。
ん? ふとロウソクを見てみると、数字の形をしている。「0」と「3」と「7」の三本だ。私は、突如目の前に現れた数字を見て焦った。おそらく劇団員が注文したんだろうが、このロウソクは一体なんなんだ!? まさかNさんが37歳なわけがない。そうだとしても「0」はいらないし。数字がついている以上は、これを正確な配置でケーキに刺さなければいけないことは確かだ。頭が混乱して、私はその3つの数字としばらくにらめっこしていた。そういえば昔こういう数学のパターン問題あったなぁ、なんて思いながら、私はようやく「703」という並びにたどり着いた。「703」で「ナオミ」だ。これで間違いない。

ホッと一息ついたが、私にはまだ失敗の許されないミッションが待ち構えていた。それは、Nさんに絶対にバレない限られた数分の間に、舞台の下手の袖にいるキャストに花束を渡し、上手の袖にいるキャストにロウソクに火のついたケーキを渡すというミッション。
そうこうしているうちに、カーテンコールが始まった。つまり、ミッション開始だ。
私はまず花束を抱えて下手の付近にスタンバイした。ちょうどいいタイミングでキャストに花束を預け、全速力で舞台裏を走って楽屋に戻る。楽屋でロウソクに火をつけ、今度は火が消えないようにゆっくりと歩かなければならない。ようやく上手の袖にたどり着き、キャストにケーキをパスする。ギリギリセーフだった。

カーテンコールの最後に、Nさんに向けて会場の客席から「おめでとう」の言葉が贈られた。会場のお客さんには、あらかじめ今日がNさんの誕生日であることを告知した紙が配られていたのだ。
同時に、下手からの花束と上手からの誕生日ケーキ。「703」を見て喜ぶNさん。よかった、サプライズは成功した。そして、晴れやかな雰囲気のなかで、公演も無事に幕を閉じた。

このサプライズも楽しかったが、もっと印象に残っているのは、その夜の出来事だ。主催者であるテレビ局のお偉方、プロデューサー、タレントのキャストの方、劇団員、そしてスタッフの一同が会して、あらためてNさんの誕生日を祝う席を設けた。
予約しておいた居酒屋に、30名近いメンバーが次々と集まってくる。全員が揃ったところで、お酒を飲みながら主役の登場を待った。
ところが、肝心のNさんはまったく登場する気配がない。1時間ぐらい経った頃に、酔っ払って完全に出来上がっているNさんがようやく到着した。他の方にも祝ってもらっていたんだろう。でもちゃんと来てくれた。

Nさんはいつも以上にテンションが高くて、その場のメンバーもみんな楽しそうだった。しばらくして、酔っ払ったプロデューサーが私にこう言った。
「◯◯くん、今日はNさんの誕生日だぞ! なんかやることがあるだろ!」
「え?(笑)」
ちゃんと舞台裏を全速力で走ったし、バレないようにサプライズ頑張りましたよ! とは言わなかったが、私は内心ドキドキしていた。
プロデューサーがみんなに呼びかける。
「みなさん、なんか◯◯くんがラップしてくれるみたいなんで!」
やっぱりそうきたか……。私は音楽活動のことを特に隠してはいなかったのだ。しかしながら、この世界での私の役割はあくまでも裏方。私も酔っ払ってはいたが、さすがに一流の役者たちを前にひとりで「演じる側」に立つというのはかなり勇気のいることだ。私がとりあえず

拒否の姿勢を見せていると、プロデューサーがNさんに向かってこう言う。
「Nさん、こいつダメだから言ってやってくださいよ!」
酔っ払ったNさんは、私をまっすぐ見て答える。
「ん? ダメじゃないよねー? わたしはいつも◯◯くんに愛を伝えてるもんねー?」
「あ……は、はい」
もうこれはやるしかないわけだ。腹は決まった。いや、最初から決まってはいたんだが。

私は立ち上がり、どうせならと、その場にいる全員に手拍子を求めた。みんなニヤニヤしながら手拍子してくれている。
Nさんを祝うラップを即興で披露した。手拍子のうえに言葉をハメる。正確には覚えていないが、「普段はNさんにめちゃくちゃ厳しいことを言われて、いつもヘコまされてるけど、本当にリスペクトしてます!」みたいな内容のラップをした。
その言葉がNさんに届いているかどうかは分からなかったが、驚いたことに、Nさんはいきなり立ち上がってラップに合わせて踊り始めたのだ。
よく分からない状況で、私は大女優とのセッションを果たした。ラップを終えると拍手喝采。ただでさえ酔っ払って顔面が火照っていた私は、恥ずかしさのせいで沸騰しそうになった。
翌日からみんなの私を見る目が変わっていたのが、それが良い意味なのか、悪い意味なのかは分からなかった。

次の日も、札幌の夜は不思議だった。公演を終えてホテルに戻り、仕事を片付けた。ちょっと近くを散歩でもしてみようと思い、街をフラフラしていると、舞台監督が違う意味でフラフラして歩いているではないか。完全に酔っ払っている。しかもなにやら大声で叫んでいた。隣には舞台監督と同じくらいの歳だと思われるおじさまがいる。
「制作と舞台監督はぶつかるのが伝統」という言葉が頭をよぎった。普段、私はこのお方に最も怒られていて、罵声を浴びることもしばしばあった。言わば天敵。しかしながら、酔っ払ってトラブルを起こしているのだとしたら無視するわけにはいかない。これはちょっとヤバそうだなと思って、私はすぐさま駆け寄っていった。
「大丈夫ですか?」
「あ?」と言いながら舞台監督は私を振り返る。
「あぁ、◯◯くんか! ちょうどいい、二軒目行くぞ!」
トラブルでもなんでもなかった。札幌の夜を旧友と過ごしていて、ただテンションが上がっていただけのようだ。

そこから私は、このおじさまたちふたりに、小さな居酒屋に連れて行かれたのだった。
舞台監督の旧友というそのお方は、北海道の新聞社のお偉いさんだった。舞台監督はそのお方に、私のことを次のように紹介してくれた。
「こいつは若いけど信用できる。足りないけど、とにかく信用できるんだ」
早くも涙が出そうになった。酔っ払っているとはいえ、天敵が私のことをそんなふうに紹介してくれるなんて。
ふたりは昔から仲が良いようで、顔を赤らめながら、当時の学生運動の話をしていた。私には分からない時代の話だが、彼らがすごく刺激的な時間を過ごし、ハードボイルドで、そしてアーティスティックな若者だったということだけは分かった。
「キミは週刊誌は読まないのか。□□とか△△とか。読まないにしても、表紙や見出しだけは見ておきなさい。まだキミには分からないかもしれないが」
その言葉の真意を私はいまだに分かっていないのだが、結果的に私が今書く仕事をしているという意味では、この先何かのヒントになるのかもしれない。

とにかく数日間の札幌の夜は、私が一生忘れることのできない最高に素敵な夜になった。


つづく

 

ある大物女優との出会いを通して学んだこと③ - 儚屋忍者

f:id:hakanaya:20171007160124p:plain

 

その後も、女優Nさんと行動する機会は多かった。自分にとっては未知の仕事ばかり。テレビにしろ情報誌にしろ個別の取材が多かったが、大勢の記者が一気に集まる囲み取材もあった。
記者会見のような公式的なものではないが、テレビ局の女性アナウンサーが司会を務めた。スポンサーのひとつである大手旅行会社の担当者がそのミュージカルの魅力を話したあと、Nさんが会場に登場するという流れだった。私はあくまでもNさんのサポート役。
ところが当日、テレビ局に入り打ち合わせをしているときに、私も囲み取材に参加することが決定してしまった。劇団側を代表して、ミュージカルの魅力を伝える役だ。
常に丸腰でフリースタイルな感じで現場に飛び込み続けていた私に、こういう予測できない事態が降りかかることは多々あったが、今回はかなりハードルが高かった。本番まで1時間もない。それまでにしゃべることをまとめなくてはならない。
「大丈夫ですよ。僕もなにしゃべればいいかよく分かってないですから(笑)」と言うのは、スポンサー側の担当者の方。
彼は私のひとつ歳上。歳はあまり変わらなかったが、もともと芸能プロダクションにいてその旅行会社に引き抜かれたというから、経歴としては私と比べものにならないほどのエリートなわけだ。つまり、その言葉で私が安心することはなかった。彼は私の緊張をほぐそうとしてくれていたんだろうが。私はとにかく手書きで原稿を作成して、できる限りのことはやろうと決めた。

囲み取材が始まり、私は彼と一緒に席に着く。目の前にはかなりの数の記者が並んでいる。司会の女性アナウンサーが、まずスポンサー側の担当者を紹介し、彼がしゃべり始めた。
何も見ず、頭の中にしっかり入っている言葉を淀みなくペラペラと吐き出す。話もすごくまとまっている。
「大丈夫ですよ。僕もなにしゃべればいいかよく分かってないですから(笑)」という、さっきの言葉はなんなんだ? あ? ふざけんな! と心の中で思った。これは罠だ! ハメられた!
次に自分の番が回ってくる。私はさっき書いたばかりの手書きの原稿を手元に置いて、その大半は目線を下にして原稿を読みながらしゃべることとなった。この差……負け犬だ。そう思いながら話を終えた。その後は、予定通りNさんが登場し、撮影と質疑応答の時間を経て、囲み取材は無事に終わった。
終わってからわざわざ名刺を渡しに来てくれた記者の方も数人いて、なんとか乗り切った感はあったが、周りがみんなプロで自分だけが場違いだった気がして、少し落ち込んだ。

帰りにマネージャーさんと合流したとき、Nさんが彼に向かってこう言った。
「◯◯くん、今日がんばってたのよ(笑)。ちょっと笑っちゃったけど」
不完全燃焼でモヤモヤしていた私の内心を読み取られた気がしたが、その言葉に救われた。この人が少しだけでも認めてくれるなら、まぁオッケーかなと思えた。

プロモーションで地方を回っている間にも、もちろん本来の制作の仕事は常にしていた。主催者のテレビ局や新聞社、プロデューサー、舞台監督、音響、照明、映像制作会社、デザイナー、劇団員などなどのハブとなって細かい調整をし続けた。あちこちから厳しい言葉を浴びながらも、もう自分がいないと絶対に回らないというところまで来ているという実感はあった。それが唯一の喜びだったかもしれない。

全国公演が始まった。ここからもまた大変だ。トラブルも多かった。関わっている人たちすべてがプロだからこそ、そのわがままも聞かなければならない。特に金銭が関わる部分はシビアだ。しかし、すべてを許容してしまえば公演は回らなくなる。特に、舞監と制作がぶつかるのは伝統だと聞いていた。だから相手がプロであっても、こちらの主張を通さなければならないときもある。
「舞台を一緒に作り上げる仲間だ」という綺麗事だけでは済まない事態も起こる。スタッフのボイコットに近いような交渉もあった。

そんななか、地方から地方へ移動しながら、宿泊、交通の管理をする。公演当日は、朝は誰よりも早く会場入りして、夜は誰よりも遅く帰らなければならない。
朝一番の楽屋の振り分けから始まって、リハーサル前に舞台上のキャストのみなさんに向けてマイクで挨拶。舞台裏の導線や、どのへんのゾーンの客席が埋まっているかなどを説明する。そこからは会場側、主催者側のスタッフと連携して開演準備をしていく。小道具や弁当の手配、受付や売店の設営、タレントさんのお出迎えなどなど。Nさんが到着して、荷物を持って楽屋まで案内するだけでも、スムーズにやらなければというプレッシャーがかかる。他にもやることは尽きない。
開場してもトラブルは起きる。開演直前のリハーサル中に、スタッフがお客さんを客席に通してしまったり。このときは舞監にこっぴどく怒られた。
お客さんからの差し入れを捌いたり、タレントを訪ねてくるなにやらVIPな方々をエスコートしたりと、あちこちとにかく走り回る。やっと少し落ち着けるのは開演してからだ。チケットの管理をしながら、ようやく弁当を食べられる。
公演が終われば、今度は舞台のバラシが始まる。アルバイトを集合させるのがたった1分遅れただけでまた舞監から激怒される。
疲労困憊でホテルに帰る。帰ってからも打ち合わせは残っている。隣の部屋からは演技の練習の声が聞こえてくる。みんな休んでいない。

もちろん、地方を回る楽しみもあった。みんな時間がない中、ご当地グルメだけは食べようという意識があったのだ。すべての人が疲れた表情をしていたけど、充実感に満ちた空気だった。

それから、これはまた別の次元の話だが、こういう大きな流れに乗っかって無心で動いていると、同じようなスピード感で動いている別の流れにいる人たちと目が合うようになる。すごく抽象的な表現だが、それによって私は自分の成長を測っていたように思う。


つづく

 

ある大物女優との出会いを通して学んだこと② - 儚屋忍者

f:id:hakanaya:20171007160016p:plain

 

ミュージカルの全国公演に向けてのプロモーションで、タレントを連れて地方に行く機会が多くなった。ビジネスマナーも業界のこともよく分からないままに、なんとかミッションを遂行していた。

女優Nさんを連れて地方のテレビ局に行ったときのことだ。今回はマネージャーさんの同行もない。空港からタクシーでテレビ局に向かう。到着すると、入り口で何名かの出迎えがあった。私はタクシー代を払い、Nさんと一緒に入り口に向かう。
先方の担当者が笑顔で挨拶してくる。私も名乗る。そして、微妙な間があったあとに、Nさんも挨拶していた。
無事に収録が終わって、食事をとることに。私とNさんが並んで座り、向かい側に担当者の方がふたり。そのうちのひとりはどうやらかなりのNさんファンだったらしく、話は盛り上がっていた。
「いやー、昔から大ファンなので、すごく緊張しちゃいます!」
私は、ふむふむ、と思いながら適度に会話しつつ食事を楽しんでいた。するとNさんが私を見ながら、担当者の方に向かってこう言う。
「でも、◯◯くんはまったくわたしに緊張しないのよね……」
私は、「いやいや、そんなことないですよぉ」と適当に返しておいたが、実際、あまり緊張していなかった。なんというか、こういうテレビ業界の人たちと同じテーブルで食事していること自体に現実感がなかったのだ。大女優が隣にいても、私はズブの素人なわけだからもはやあがいてもしょうがない、ありのままでいいっしょ、みたいな感覚だった。

帰りのタクシーで、仕事の達成感を味わっていると、後部座席からただならぬ空気が・・・。
「◯◯くんさ・・・」
やばい。やっぱりなんかやらかしちゃってたか?
「テレビ局着いたとき、ふつうはあなたがわたしのことを紹介するよね?」
その通りだ。
「◯◯くんは、いつもテンポがひとつ遅いの。本来はわたしのひとつ先を行ってなきゃいけないのよ。わたしは気づくのが早いけど、その前にいろいろ気づかなきゃ」
私は、「はい」とだけ答える。それ以降、タクシーは沈黙を乗せたまま空港へと走った。
そういうことか……。食事していたときに私が流してしまっていたあの言葉。あれは、私の緊張感のなさを指摘していたに違いない。そのとき、初めて自分の立場が分かったような気がした。この人に恥をかかせていた自分に気づいた。

それ以降も、私はNさんや売れっ子の女芸人の方などと一緒に地方へ行き、その度にいろいろ学んでいった。マネージャーさんや付き人さんが同行しない以上、地方に行っている間は自分がその役割も兼任しなければいけないのだ。失敗も多かった。

劇団の看板女優と女芸人Wさんのふたりを連れてプロモーションに行ったときも、大きな失敗をした。看板女優はそのミュージカルの主演。そしてWさんはミュージカル初挑戦。しかし、知名度は圧倒的にWさんの方が高い。そのへんに意識を向けることができなかったのだ。
取材でも収録でも、どうしてもWさんの方に焦点が当たってしまう。自然と私もその流れに身をまかせてしまい、看板女優をたてることができなかった。さらに、それにまったく気づかず、仕事後に指摘されてしまったのだ。
正直、経験の浅い私にとってはハードルの高いことばかりだった。しかし、失敗から学ぶことは許されていた。情けない話だが、失敗しても最終的には周りの力で前向きにさせてもらっていたように思う。劇団員やタレントの方たちは常にエネルギッシュで、誰も立ち止まることがなかった。だから、自分もそういう姿勢になっていたのだろう。

Nさんももちろんエネルギッシュだった。あるとき、私はNさんと朝から飛行機に乗って九州に向かい、時間がカツカツのなか取材と収録で数か所を回った。夜にはもう動けないくらい疲れ切っていた。ようやく最後の収録が終わって一息ついていると、Nさんが「ちょっとディナーに招待していただいたから、今日はここで!」と言っている。まじか……。まだそんなエネルギーが残っているとは。東京にいるマネージャーさんに報告の電話をする。なんか飲みに行くみたいですと。
私は宿泊する予定だったホテルへ入り、軽く食事をとって、ベッドに倒れ込んだ。そしてそのまま寝てしまった。
翌日の朝、ホテルの1階の一室へ向かった。そこで取材の予定だったのだ。前日の疲れを引きずったまま部屋に入ると、すでに準備万端のNさんがスタッフの方と談笑している。この人、昨日ちゃんと寝たんだろうか……。

取材を終え、飛行機に乗って、東京に着く。空港でようやくマネージャーさんにバトンタッチ。一応マネージャーさんに聞いてみる。
「今日もこのあとNさんお仕事あるんですか?」
「あぁ、夜ありますよ。その前にプライベートの予定もあるみたいです(笑)」

私はNさんの言葉を思い出していた。「わたしのひとつ先を行ってなきゃ」という言葉。

無理です......。


つづく