儚屋桃色相談 〜玲志・忍者・玄〜
<往信、玲志>
儚屋本舗の皆々様、本日は我が相談に乗っていただき、誠にありがとうございます。
皆々様のあたたかき心、感激の極み也。
では、早速本題に入らせてもらいます。
実は私、心の病におかされております。
原因はひとりの女性(以下、にょしょう)であります。
端的に言ってしまうと、淡き恋をしているのです。
なかなか会うことはないけれど、機会があれば顔を見ることができる女性に。
私はその女性の名前も、年齢も、住んでいる街も知りません。
これまで二度三度、遠目から彼女を見る機会があり、その時から
「嗚呼、なんと美しき女性。あの人とチャイや珈琲を傾けながら、小さな声でお話ができたら、この星で生きていくことも捨てたものじゃないのになぁ」
ほのかにそんな想いを募らせておりました。
そして本日、数ヶ月ぶりに彼女を見つけました。
いつもは遠目に見るしか術がないのですが、今日は神様が私にチャンスを与えてくれました。
私は彼女に近づき、ほんの一瞬しかない間隙を縫い、彼女との十秒にも満たないカンバセイシャンにありついたのです。
私の投げた冗句に、彼女は下を向き笑いました。
赤いルージュの描いた優しいカーヴが、彼女の表情が微笑みであることを教えてくれたのです。
三秒後、彼女はその笑顔のまま顔を上げ、私の冗句に乗った返答をしてくれました。
「きっとおとなしい人なんだろうな」
という私の下馬評を覆すほどに、彼女の声は明るかったのです。
その彼女の返答に私も笑い、二人は見つめ合いながら一緒に笑う格好となりました。
そんな夢のごたる時の中で、私は格好をつけてすぐにその場を去ってしまいました。
今日私が観た夕暮れの空、少しだけ欠けていたであろう昇り始めの十なん番目かの月、彼女の朗らかな声と太陽のような笑顔、そして機転の効いた返し。
そのどれもが、この宇宙が存在している天文学的な時間の中の、ほんの一瞬の美しさでありました。
彼女との十秒間という永遠のカンバセイシャン。それは私を狂わすのに、充分過ぎるものでした。
それからというもの私の脳裏には、彼女のあの仕草がむした苔のごとくついて離れません。
いつもならスキップしがちな、iPodのシャッフルが流す『ニューシネマパラダイス』も心で聴いてしまう始末。
それなのに彼女のことをなにも知らず、次にいつお目にかかれるかもわからずにいる私は、どうやら心の病におかされたようです。
こんな想いを抱えた私は、いったいどうして生きていけばいいのでしょう。
いっそ死への想いも頭をよぎります。
左利きになってみよう、ビデを使ってみよう、あざやかなセンタリングを上げてみよう、ブラを着用してみよう、バナナを皮ごと食べてみよう、ファンシーショップを経営してみよう、抱かせてくれる女を抱いてみよう。
そのどれも違う氣がします。
儚屋本舗の皆々様、私はこのような人生の四畳半において、いかなる顔と仕草で時と向き合えばよろしいのでしょうか。
<返信、忍者>
シチュエーションはもちろん違いますが、私もある女性の存在のせいで同じように桃色の心の病に侵されたことがあります。
一時的な気の迷いのようなライトなものではなく、それはまさに「病」と呼ぶに相応しい重度の患いでございました。
「本当はこの女性は醜いにょしょうなんだ」と自己暗示をかけるために、私はまずお得意のコラージュアプリケーションでその女性の写真の顔のパーツを切り取りました。そして、まるで福笑いのパズルのように不細工な顔に並べ替えることで心の安定を確保したのです......。
これが果たして正常な人間のとる行動でございましょうか。桃色の裏に潜む狂気の色。自身にこれを垣間見て、私はやはりあなたと同じように第三者に相談する決意をしたのです。
解決の糸口を提示してくれたのもまたひとりの女性でした。彼女とは肉体的なつながりも含め長年にわたる歴史があります。「恋人」として結ばれることのなかった相手ですが、ある意味では、誰よりも私のことを知っている女性と言えるかもしれません。
桃色の心の病は、常に相手のあるもの。あなたが男性である以上は男心の問題でもあるので、男性に相談したい気持ちも分かります。しかし、相手は女性です。女性に関することを女性に相談することによって、思いもよらぬ方角からワクチンが届く可能性があるのです。
これは儚屋本舗のメンバーに限定されたクローズドな相談でもあると思います。そこで、私からの提案です。
ここはひとつ、儚屋本舗のメンバーのひとりであり、あなたのことを最も知る女性でもある儚屋かぐやに相談してみてはいかがでしょうか。
<返信、玄>
返信が遅れてすみませんでした。なかなかお返事するいとまが見つけられず、この時間になってしまいました。
玲志さん、まずは偉大なる一歩の前進、おめでとうございます。一度ならずとも二度三度そのにょしょうと出会うなど、運命と云っても過言ではないでしょうか。
そして、湧き上がる気持ちを抑えながらカンバセイシャンをそこそこに切り上げる勇気、なかなか真似できるものではありませんよ。
出会うべくして出会う相手というものはいるようです。きっとそのにょしょうとは再び出会うことでしょう。
さてその時いかがいたすべきか。その答へは奇しくもすでにあなたが答へてらっしゃいますね。珈琲を傾けながら貴女とお話ができたら、この星で生きることも捨てたもんじゃないと思っております、まさにこの言葉です。飾らないその気持ちを次は傳へましょう。そして、もしその一言すら傳へるのが難しい場合に備え、一筆認めておきましょう。万が一です。万が一、数秒のみ猶予がない場合は文を渡すのです。そこに連絡先を記しておけばきっと連絡が来るはずです。今は便利な世の中になりましたが、ここは古来からの伝達手段を使う方がきっと近道でしょう。
辛い時をお過ごしのことと存じます。眠れぬ夜には、彼女への想いを詩にしてみてはいかがでしょうか。
実は、私もまさに同じ奇病にかかっております。一年前に一度しか会ったことのない阿波国のにょしょうに恋をしておりまして……。
苦悶しながらも、次出会へることを信じ、そのときに渡す一句を推敲する毎日でございます。
お互い頑張りましょう。
ご健闘を心よりお祈りしております。